ナイツの漫才 「スタジオジブリ」 笑い過ぎ注意
ジブリで下ネタするなんて・・・w
ナイツのM−1情報
M-1グランプリに2001年度は2回戦敗退。2002 – 06年度は3回戦敗退。2007年度は準決勝敗退。2008年度からは現在の漫才スタイルが完成し、3年連続で決勝進出。
2008年度は優勝候補の呼び声が高かった。決勝では鉄板の「ヤホー漫才」を披露。1回戦は4番手で「宮崎駿」を題材にしたネタで3位通過。前評判どおり最終決戦に駒を進める。最終決戦では1番手で「SMAP」を題材にしたネタを披露したが、0票で3位に終わる。優勝は正統派超高速漫才を得意とするNON STYLE。土屋は「出来が全然良くなかった。僕なんか緊張で命にかかわるくらい口が渇いてた。師匠から浅草東洋館と思ってやれと言われたけど無理だった。」塙は「同じボケを詰め込むネタだけど、NON STYLEさんは全然スピードも練習量も違った。あんなに速いのに1回も噛まなかったし(塙は1度だけ噛んだ)。圧倒的だった。」と振り返っている。
前年度に引き続き優勝候補の呼び声が高かった2009度は1番手で「自己紹介」というネタを披露。1番手は最も不利とされるが、「トップバッターで逆に他のコンビと比べられることがないので落ち着いて出来た」という。暫定3位に付けたが、敗者復活枠のNON STYLEに7点差で抜かれ、最終結果は4位。奇しくも2年連続で同じコンビに優勝を阻まれる結果となった。優勝はナイツと同じく緻密で練りこまれた正統派漫才を得意とするパンクブーブー。土屋は「パンクブーブーさん、笑い飯さんの1本目のネタを見て、これは正直負けるかなって思いました。」塙は「笑い飯さんがすごいのは分かってたけど、パンクブーブーさんのネタの完成度にはショックを受けた」と振り返っている。
ラストイヤーとなった2010年度は5番手で「2010年のニュース」という、前半の件を全て後半のフリに使うという時事ネタを披露。銀シャリと1点差で暫定3位に付けるも、最終順位は6位に終わる。優勝は「Wボケ」という変化球漫才を得意とする笑い飯。土屋は「出番直前のアオリ映像で『ニューナイツ』と紹介されたんですけど、蓋を開けてみたらパンクブーブーさんのほうが大きく変わっていたという(笑)。本当はああいうことをやりたかったんです。」塙は「笑い飯さんのネタの途中でほぼ諦めてました。その後にはパンクブーブーさんもいたし。」と振り返っている。優勝候補と目されながらも3大会とも優勝したコンビに差を付けられる形となった。
優勝は逃したが審査員の評価は高く、2008年度は松本人志に「4分間に何個笑い入れとんねん、みたいな(塙 『37個くらいだと思います』)。凄いなと思って。決勝も見たいと思いました。」と評され、2009年度は不利とされるトップバッターにもかかわらず、島田紳助に「皆が困ったのは基準点になるんですよ。だから本来は88点ぐらいで止めたいんですよ。ただ、去年よりめっちゃ良かったね。1年間で進化してるし、土屋上手くなったよ。」と絶賛された。2010年度は宮迫博之に「ジャルジャルやスリムクラブみたいな漫才のカテゴリーなのか分からないコンビがいる中、正統派の漫才でやっぱり上手かった。ただ、落ち着いてやりすぎたかな。」、渡辺正行にネタ自体は評価しつつも「いまいとつ、勢いがない。なぜなんだろう。勝ちにいくぞ! という気持ちがちょっと、見えない。もったいない」と評された。島田紳助は「(彼らより先の出番だった)スリムクラブで自分の審査基準がおかしくなった。客にはウケなかったけどやっぱり上手いなと思った。」と述べ、ナイツが順番に泣かされた状況を示唆した。
2010年度を以てM-1グランプリが終了した後、M-1の後継プロジェクトとして誕生した『THE MANZAI 2011』に出場し準優勝。