【コント山口君と竹田君】漫才『行列のできるラーメン屋さん』

【コント山口君と竹田君(コントやまぐちくんとたけだくん)】は、日本のお笑いコンビ。

三木プロダクション、山口ひろかずが代表を務めていたプライムワンを経て、有限会社トムプロダクションに所属している。

本名:山口 弘和。事務所の公式サイトでは、コンビとしての芸名は「山口君」、個人の芸名は「山口ひろかず」としている。
趣味はサッカー、特技は卓球。
1980年にMr.ポテトというコンビでデビューしたが、翌年に解散。
芸能プロダクション・プライムワンを設立し、代表を務めていた。
三木プロダクションの運営するタレント声優養成所の校長を務める。
2019年5月より漫才協会常務理事。

竹田 高利
本名 竹田 高利
別名義 竹田君
生年月日 1957年1月22日(64歳)
出生地 日本の旗 日本東京都
職業 お笑い芸人
ジャンル お笑い、テレビドラマ
主な作品
『炎立つ』第一部
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1957年1月22日生まれ、東京都出身。

本名同じ。事務所の公式サイトでは、コンビとしての芸名は「竹田君」、個人の芸名は本名としている。
趣味はウォーキング・低い山登り、特技は汗。
妻の美起子と共に、旅番組のレポーターなどで活動。
相方の山口と比べ単独でのテレビドラマ出演が多く、1993年には大河ドラマ『炎立つ』でレギュラー出演した。その際、「タカトシ号」という馬に乗って撮影に臨んだ。

元々は新宿のストリップ劇場で、集団によるコントをやっていた。他の人がどんどん辞めていき、残ったのが山口と竹田だけだった。

1982年にコンビを結成し、翌年の1983年デビュー。1984年、「お笑いスター誕生!!」第3回オープントーナメントサバイバルシリーズに初出場。2回戦、準決勝と100点満点を達成。100点満点は史上初で、以後も松竹梅しか達成していない。そのままの勢いで優勝、見事100万円を獲得した。

以後は数々のテレビ番組に出演するようになり、人気も急上昇。1985年には「打倒笑っていいとも!」として企画され、裏番組で放送された冠番組「コント山口君と竹田君のおじゃまします」(TBS)が立ち上がったが、視聴率が振るわず、わずか1ヶ月半で打ち切られた。

その後は演芸番組やドラマなどにも出演。ピンでの活動も増えた。

くりぃむしちゅー(有田哲平・上田晋也)は元付き人で弟子。また、彼らの旧コンビ名である「海砂利水魚」の名付け親でもある。

三谷幸喜が1986年頃に座付作家を務めていたことがある。

2013年、漫才協会に入会。

芸風
最初に竹田が登場し「竹田高利、○歳、くらい!(年齢はコントの内容によって変わる)」と宣言し笑いをとると、山口がのっそり現れ本編に入る。この際、自分が登場したときに拍手がないと、竹田に「お前だけ拍手がもらえていいな」と、間接的に拍手を要求する。

一本気な竹田が、山口にのらりくらりと振り回されるコントが多い(逆に竹田が山口を振り回すコントもある)。徐々に汗だくになっていく竹田を山口があげつらってひと笑い取ることもある。最後に竹田がブチ切れ、山口があっさりと「終わりです」と言って幕を閉じるパターンが多い。

(ウィキペディアより)


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