0:48しり餅 36:05口入屋 1:15:29百人坊主 1:53:16エンドトーク
「しり餅」
古典落語の演目。原話は、享和2年(1802年)に出版された笑話本『臍くり金』にみえる。 上方落語で先に成立したとされ、作中に出てくる「餅つき唄」に「梅は岡本、桜は吉野、紀州みかんに丹波栗」と上方の地名ばかりが出ることがその傍証とされる。年末に餅つきをするお金がない家庭で、餅をついているように見せかける夫婦のやり取りを描く。その内容から、年末に演じられることが多いとされる。餅をつく音は、握った右手の甲の側(指の根元から下)を、左手の掌につける形で叩いて出す。主な演者に東京の8代目三笑亭可楽や桂歌丸、上方の5代目笑福亭松鶴・6代目笑福亭松鶴などがいる。5代目松鶴の口演について正岡容は『寄席歳時記』の中で「十八番」と述べている。
二代目 桂 ざこば
日本橋中学校在学中、学校をさぼって千日劇場に行った際、3代目桂米朝が「浮世床」を演じるのを見て即座に弟子入り志願する。当初米朝は「学校をサボるような子は噺家にはなれん」と突き放したが、それから何日も米朝の元に通い詰めた。あるとき、米朝宅に呼ばれて「落語ができるか」と問われ、うろ覚えで我流の「浮世床」を少し話すと、傍にいた桂小米(のちの2代目桂枝雀)が「師匠、彼を(弟子に)とりましょう!」と口添えしたという。枕には定評があり、桂枝雀は生前「ざこばのマクラなぞは、もうマクラだけで、えら(すごく)落語(そのもの)でっしゃないか」と評していた。枕だけをまとめた「ざこばのざっこばらん」という演目もある。米朝一門の中では枝雀の没後、実質的に弟子筆頭として桂南光とともに米朝の存命中は補佐する形で一門の運営を主導しており、米朝没後もその地位は変わらなかった。
「口入屋」
上方落語の演目。江戸落語でも「引越(し)の夢(ひっこしのゆめ)」という題で演じられる。江戸落語には上方から移入したとする説もあるが、東大落語会編「落語事典 増補」は「江戸でも天保年間には高座にかけていた」とする。商家に美人の女中が働きに来たことで起きる騒動を扱った作品である。大店の小僧の定吉が葭町の桂庵の千束屋(ちづかや)から来た女中が珍しく器量良しで中二階で寝ることになったと一番番頭にご注進した。実は店の奥さんが番頭を筆頭に男どもがよからぬことを仕掛けるので、なるべく不器量な女を連れて来るように言っておいたのだが今回は、なぜかいい女が来てしまい・・・
桂 枝雀
入門時から稽古には熱心で、深夜の歩行中にネタ繰りをして警察に通報されたり、ネタ繰りに没頭するあまり掃除機を部屋の随所にぶつけて什器を壊したりした。米朝の妻は、「周りを気にせずのめり込む人は、後にも先にもあの子のほかにはいなかった」と評している。この「私生活の間も落語の稽古をする」という習慣は、枝雀として名をなした後年も変わらなかった。1973年(昭和48年)10月に道頓堀角座で「2代目桂枝雀」を襲名。この襲名は、6代目笑福亭松鶴の「小米には枝雀という名前がええで!」という意向で決まった。これを機にそれまでの落語を大きく変える。初代桂春団治にもたとえられる所作や声の激しい芸風となり、多くの観客を爆笑させ、大衆的な人気を得た。1997年高座で「鬱なんです」と告白し、客席の笑い声に「笑いごとじゃないんですよ」と続けた。この会の後、出演を控えて闘病生活に入る。復帰するものの満足のいく口演が出来ず1999年自宅で自殺を図り病院に搬送され同年4月19日に心不全のため死去。満59歳没。遺書やそれらしい発言は全くなく、真相は不明。
「百人坊主」
上方落語(古典落語)の演目。別題として『「百人坊主勝負の魁 ひゃくにんぼうずしょうぶのさきがけ」伊勢参りの道中での喧嘩沙汰を避けるために暴力をはたらいたメンバーを坊主刈りにする罰を定めて、坊主頭にされた男が一人先に戻って仕返しをした結果、関係者がみな坊主頭になるという内容。江戸落語の「大山詣り」(こちらにも「百人坊主」の別題あり)とプロットが共通しており、サゲ(落ち)には同様に「お毛がのうてお目出度う」で落とすものもある。前田勇は「東京のは大阪から移植したもの」としている
三代目 桂 米朝
現代の落語界を代表する落語家の一人で、第二次世界大戦後滅びかけていた上方落語の継承、復興に大きく貢献した。その功績から、1996年(平成8年)に落語界から2人目の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、2009年(平成21年)には演芸界初の文化勲章受章者となった。位階は従三位。戎橋松竹で初舞台後、長年千土地興行(後の日本ドリーム観光)に所属し、千日劇場を本拠に道頓堀角座やうめだ花月にも出演したが、1968年3月以降はフリーとなり、ホール落語、独演会、一門会を中心に活動するようになる。ラジオパーソナリティーを務めていた近畿放送の「天壇ゴールデンリクエスト」の縁で1966年7月16日、初の独演会「米朝 スポットショー」を京都府立勤労会館で開催、その流れで10月25日に現在でも続く桂米朝落語研究会をスタート。1974年、千土地時代の担当マネージャーを社長に据え芸能事務所米朝事務所を設立。現在一門の多くがここに所属する。
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