枝雀 春蝶 仁鶴 文珍 上方落語四天王直弟子【落語】

0:48高津の富 39:32蝦蟇の油 1:00:10七度狐 1:24:23寝床 1:52:54エンドトーク【落語】

「高津の富」
上方落語の演目。別題に「宿屋の富(やどやのとみ)」、「千両富(せんりょうとみ)」。元は上方落語であったが、3代目柳家小さんが4代目桂文吾に教わり、江戸落語に移入された・寂れた宿屋に一人の男が泊まる。主人が宿賃を払って貰おうとすると、客は自分は何百人もの奉公人がいる田舎の金持ちだと調子が良く話して誤魔化す、人の良い主人はそれを信じて売れ残った富クジを買って欲しいと言いだし、成り行きから客は買わざるを得なくなる。それでも調子よく「当たったら半分やる」と言って出かけるが・・・

桂 枝雀
入門時から稽古には熱心で、深夜の歩行中にネタ繰りをして警察に通報されたり、ネタ繰りに没頭するあまり掃除機を部屋の随所にぶつけて什器を壊したりした。米朝の妻は、「周りを気にせずのめり込む人は、後にも先にもあの子のほかにはいなかった」と評している。この「私生活の間も落語の稽古をする」という習慣は、枝雀として名をなした後年も変わらなかった。1973年(昭和48年)10月に道頓堀角座で「2代目桂枝雀」を襲名。この襲名は、6代目笑福亭松鶴の「小米には枝雀という名前がええで!」という意向で決まった。これを機にそれまでの落語を大きく変える。初代桂春団治にもたとえられる所作や声の激しい芸風となり、多くの観客を爆笑させ、大衆的な人気を得た。1997年高座で「鬱なんです」と告白し、客席の笑い声に「笑いごとじゃないんですよ」と続けた。この会の後、出演を控えて闘病生活に入る。復帰するものの満足のいく口演が出来ず1999年自宅で自殺を図り病院に搬送され同年4月19日に心不全のため死去。満59歳没。遺書やそれらしい発言は全くなく、真相は不明。

「蝦蟇の油」
元々は『両国八景』という風俗描写を中心とした長編落語(酔っ払いの男が居酒屋でからむのを友人がなだめて両国広小路に連れ出し男が大道の物売りたちをからかう)の後半部だったものが独立して一席の落語となった。主な演者には、三代目春風亭柳好や六代目三遊亭圓生、八代目 林家正蔵などがいる。なお『両国八景』の前半部分は3代目三遊亭金馬が『居酒屋』というタイトルで独立させ自身の十八番とした。

二代目 桂 春蝶
若いころから無類の酒好きで食事をほとんど摂らず身長175cmに対して体重41kgと非常に細身の体にギョロっとした目の風貌がドナルドダックに似ており、酒と博打の話題や阪神タイガースの大ファンとしても知られた。自作では『ピカソ』、『河童の皿』という演目を残している。新作落語では仁侠映画を題材にした『昭和任侠伝』も得意ネタとした。『昭和任侠伝』は、ヤクザ映画全盛期にヤクザに憧れたとぼけた男の物語で、現在は3人の弟子と実子の3代目春蝶、3代目春蝶門下の紋四郎が受け継いで演じている。2代目春蝶の作とされることの多い『昭和任侠伝』であるが、実際は桂音也の作品である

「七度狐」
しちどぎつね、上方では「ひちどぎつね」江戸では「ななたびきつね」他に「七度狐庵寺潰し」(しちどぎつねあんでらつぶし)「庵寺つぶし」(あんでらつぶし)とも呼ばれる。道中噺「東の旅」(本題「伊勢参宮神乃賑」)の一編である。「東の旅」の一編と合わせて演じられることが多い。喜六と清八の二人が伊勢参りの途中で煮売屋に立ち寄りイカの木の芽和えを注文すると売約済で売ってくれない。怒った二人は木の芽和えを笠に隠して持ち出し歩きながら食べて容器のすり鉢を道ばたに放り投げると、そこにいた七度狐に命中して怒った狐が・・・

三代目 笑福亭 仁鶴
1960年代後半から70年代前半にかけて、深夜ラジオ番組の出演で当時の若者層から絶大な人気を博し、番組中に発した「どんなんかな~」で一気にブレイクした。「四角い仁鶴がまぁーるくおさめまっせぇ」のフレーズでレギュラー番組を長らく受け持つ。天狗連で売り出した当時は、初代桂春団治ばりのあくの強いスピーディーな語り口であったが、6代目笑福亭松鶴に入門直後は、「教えてもうた通りきっちりとやらなあかん時期」だったため、「地味で硬い語り口」に転じた。そこで基礎から落語を学び直し、やがて本来の「機関銃のような」スピードと強さを取り戻していった。1970年代後半に喉を痛めてからは芸風を変更し、的確な描写力を持ってじっくりと聴かせる正統派の落語家となった

「寝床」
大家さんは義太夫語りが大好きですぐ他人に語りたがるが、あまりにも下手なので誰も聴きたがらない。この日も義太夫の会を開こうとおいしい料理と酒を用意し、番頭に長屋の店子たちを呼びにやらせるが、提灯屋、金物屋、小間物、鳶、豆腐屋と誰もが仕事を言い訳にして断ってくる。ならばと店の使用人たちに聞かせようとするが全員仮病を使って聴こうとしない。妻は子を連れて実家に避難してしまう・・・

桂 文珍
MBSラジオの「ヤングゴーゴー」で三枝が担当していた日のリスナー参加コーナー「フレッシュ寄席」に出演したことがきっかけで、三枝の紹介で小文枝に入門。当時、三枝はすでに人気を得ていたが依然として小文枝の家に住み込みだったため、自分が独り立ちできるよう弟弟子を探していたという。新作落語、古典落語の両方演じ、古典では3代目桂米朝から多くのネタの稽古を付けられた。明石家さんまを落語家に復帰させようとしているが、さんまからは「あんたがやりなはれ!」と言い返されている。兄弟子の三枝と同様に軽快な司会ぶりが受け、一時期は17本のレギュラーを持つなど、落語界でも屈指の人気者となっていた。しかし、雑誌で藤山寛美と対談した際、寛美から「レギュラー17本はしんどいですな。これからはそんなんがなくなっていくから気を付けなはれ」と言われ、徐々に原点の落語に重点を移しテレビ出演については、スポットもしくはゲスト出演程度にとどめており、基本的には落語の高座を主体とした活動を続けている。

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