0:48つる 19:42かぜうどん 54:02子ほめ 1:30:44地獄八景亡者戯 2:46:09エンドトーク
「つる」
元は「絵根問」という噺の最後の部分だったが、四代目桂米團治が独立させてまとめたとされる。のちにガリ版印刷の『桂米團治口述 上方落語台本』に記し若手落語家の稽古本となった。前座噺として扱われることが多い。江戸落語では桂歌丸の口演が有名。物知りから教わった話を愚か者がマネして失敗する典型の噺である江戸版と上方版で多少内容が異なる。江戸版は隠居の所へ来た八五郎が散髪屋で鶴の掛け軸を見たと話し、鶴の由来を聞くと隠居は、「雄がつーっと、雌がるーっと飛んで来たので、つるという名前になった。八五郎は、他のところで披露しようとするが失敗してしまう。上方版は散髪屋で物知りの男に話を聴いたアホの男が散髪屋にあった掛軸の鶴の絵について尋ねると「雄がつーっと雌がるーっと飛んで来たので、つるという名前になった」その話しを訪れた先で披露しようとして失敗する。
「かぜうどん」
古典落語の演目。元は上方落語で三代目小さんが東京に移植し五代目小さんが更に磨き上げた。三代目の小さんが、いかにも強情ではた迷惑な江戸っ子キャラに設定したせいで、江戸っ子はうどん嫌いのようなイメージが定着したが、蕎麦屋がうどん屋に商売替えするほど、うどんは流行ったという。「風邪うどん」「うどん屋」とも。流しのうどん屋に酔っ払いが来て、太平のミー坊の婚礼話ばかり繰り返して水だけ飲んで「うどんは嫌い」と去っていく。子どもが寝たから静かにしろと苦情を言われ、大店の前で若い衆から小声で「うどん屋さ~ん」と呼ばれて1つ注文される。風邪で小声になった若い衆に合わせてうどん屋も小声で対応していたが「お前さんも風邪を引いたのかい」とバレてしまう。
「子ほめ」
古典落語の演目。「子褒め」とも表記される。別題として「赤子褒め(あかごほめ)」「年ほめ(としほめ)」。もとは上方落語の演目で3代目三遊亭圓馬によって江戸落語に持ち込まれた。いわゆる前座噺に数えられる。少々頭の弱い男が子どもが生まれたばかりの家に行って祝いのほめ言葉を話してもてなしを受けようとするのだが、言い間違えてしまいもてなしを受けられないという内容。サゲは一門や演者によって微妙に異なる。原話は寛永5年(1628年)、安楽庵策伝の「醒睡笑」・巻一中の「鈍副子(どんぶす)」第十一話。さらに享和4年(1804年)の十返舎一九「商内上手(あきないじょうず)」収録の「ゆき過」がほぼ現在と同じ内容を備える。
「地獄八景亡者戯」
上方落語の演目の一つである。「八景」は「はっけい」ではなく、連濁で「ばっけい」と読まれる。江戸落語では「地獄めぐり(地獄巡り)」と呼ばれる。3代目桂米朝の十八番として知られる。通しで演じると1時間超である上、全編を通じて時事ネタを交えたギャグが入り、身ぶり手ぶりを交えた演出も多いなど、話し手にかなりの力量を要求する大ネタである。サバの刺身を食べて食当たりで死んだ喜六が、冥土への旅路で賽の河原、三途の川渡り、六道の辻、閻魔の庁などおなじみの地獄の風景が描写される。米朝が1954~55年頃に3代目笑福亭福松から教わり再構築したものを基にしている。東京では三遊亭圓遊代々の噺(「地獄巡り」)として、4代目圓遊(加藤勇)の録音も残っているが、内容が少し異なっていて所要時間も短い。
桂吉朝
若い頃から千朝、桂雀松らや講談師の旭堂南左衛門と勉強会を開催した。落語だけにとどまらず中島らもの劇団「笑殺軍団リリパットアーミー」の役者としても活躍したほか、阪本順治監督の映画『王手』(1991年)に将棋の師匠役で出演もした。狂言師13世茂山千五郎らとともに、狂言と落語をミックスさせた「落言」の公演を行う一方、文楽の桐竹勘十郎、豊竹英太夫(現・6代目豊竹呂太夫)らとも親交が深く、文楽と落語をコラボレーションさせた会を開催するなど、他ジャンルの芸能との交流も深かった。その才能と実力から上方落語界の次世代を担うホープ、また米朝の後継者として期待されていたが、1999年に胃がんを患い、手術を受け一度復帰したものの、2004年10月になって胃がんを再発。その後治療を続けながら高座を務めていたが、すでにがんは末期の状態であった。
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