0:44欲の熊鷹 13:52高津の富 44:16一人酒盛り 1:05:22後引き酒 1:38:30エンドトーク
「黄金の大黒」
明治末から昭和初期にかけて、初代桂春団治の十八番だった上方噺を、初代柳家金語楼が東京に移植し脚色しました。現在でも、演じられる噺ですが、音源は少なく、現在CDで聴けるのは七代目立川談志と三代目笑福亭仁鶴くらいです。その仁鶴は通常師から弟子にネタを伝えるものを師匠の松鶴にこの噺を伝えている。長屋の一同に大家から呼び出しがかかった。日ごろ、店賃なんぞは爺さんの代に払ったきりだとか、店賃?まだもらってねえ、などという輩ばかりだから、てっきり滞納で店立ての通告か!と戦々恐々。ところが、聞いてみるとさにあらず、子供たちが普請場で砂遊びをしていると大家のせがれが黄金の大黒さまを掘り出したという・・・。
「あとひき酒」
江戸落語の「ずっこけ」の前半を移植したもの。落ちは「替り目」にある。飲み屋で愛想よく飲み始めた客、多くは飲めないと言いながら、酔いが回り始めると店の親父をからかうようになり、他の客がいなくなると、すっかり出来上がって店の悪口を並べる……看板になっても帰ろうとしないので、親父が「もうやめた方がええ」と言ったのに腹を立て、「お前は客の気持ちが分からん。看板ですが、もう一杯だけいかがでおます、と言うてみい。いや、もう飲み過ぎた、また来るわ……となるやろ」とてこでも動かない。親父も仕方なく、笑顔を作って「もう一杯いかがでおます」「ほな、一本もらうわ」病気から復帰した笑福亭松鶴、口が回らず、こればかりを高座にかけた。
「一人酒盛り」
これから仕事に出かけようという時に、急用だからとのみ友達の熊五郎に呼び出された留公。無理して来てみると、たった今、上方に行っていた知人から、土産に酒をもらったから、二人でのみたいという。造り酒屋から一升だけ分けてもらっためったに手に入らない、いい酒とか。全部あげたいが、ほかに一軒世話になった家があって、そこへ半分持っていかなければならないから五合で勘弁してくれと置いていったという。「のみ友達は大勢いるが、留さんは一番気が合うから呼んだ」とお世辞を言われてお人よしの留公は上機嫌だが・・
「高津の富」
上方落語の演目。別題に「宿屋の富(やどやのとみ)」、「千両富(せんりょうとみ)」。元は上方落語であったが、3代目柳家小さんが4代目桂文吾に教わり、江戸落語に移入された・寂れた宿屋に一人の男が泊まる。主人が宿賃を払って貰おうとすると、客は自分は何百人もの奉公人がいる田舎の金持ちだと調子が良く話して誤魔化す、人の良い主人はそれを信じて売れ残った富クジを買って欲しいと言いだし、成り行きから客は買わざるを得なくなる。それでも調子よく「当たったら半分やる」と言って出かけるが・・・
六代目 笑福亭 松鶴
若い頃は放蕩三昧の暮らしをしていたが26歳の時に父五代目のマネージャーを勤め28歳の時に出番に遅れた出演者の穴埋めとして芸名無しで初舞台を踏む。入門当時、消滅寸前だった上方落語の復興を目指し、3代目桂米朝らと奔走。埋もれていた演目を掘り起こし、また多くの弟子を育て上げ、上方落語の復興を果たす。3代目桂米朝、5代目桂文枝、3代目桂春団治とで「上方落語界の四天王」と讃えられた。豪放な芸風と晩年の呂律が回らない語り口(1974年頃に脳溢血を患った後遺症や糖尿病の悪化や入れ歯による噛み合わせの影響)が知られているが、若い頃はまさに立て板に水というところで、テンポよく迫力のある語り、酔態や子供の表現の上手さで人気を得た。特に酒を題材に取った噺「らくだ」や芝居噺「蔵丁稚」などを得意としていた。
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