枝雀たっぷり其の二 今聴かずしていつ聴くのだ!【落語】

0:43代書 28:39貧乏神 55:47夏の医者 1:17:41宿替え 1:52:28エンドトーク
  
「代書」
「代書」または「代書屋」。自宅で一般代書人を営んでいた四代目桂米團治が、その経験から創作した新作落語。四代目米團治から直弟子である三代目桂米朝に伝えられたが、米朝は三代目桂春団治と二代目桂枝雀に付けた後、あまり高座に掛けなくなった。三代目春団治に関しては、「春団治」襲名直前に米朝が持ちネタの少なさを指摘し喧嘩になったが、翌日になって「考えてみればあなたの言うことももっともだ」と稽古を懇願したことに米朝が感服して「あんたの気持が嬉しいさかい「代書」をやる。そやさかいやる限りは、わしはしばらくこのネタを演らんつもりや」と答えたという。

「貧乏神」
「貧乏神(びんぼうがみ)」は、上方落語の演目で、大阪市生まれの落語作家・小佐田定雄の新作落語で代表作の一つとして数えられる。何度も嫁に逃げられる男がいた。男に取り憑く貧乏神は働くように催促するが、男は仕事に行こうとしない。貧乏神は家賃の分だけでも稼ごうと爪楊枝削りや洗濯代行の内職をしていたが、ある日男に頭陀袋に入った銭を盗まれてしまう。怒った貧乏神はこの家を出ていくと宣言するが、男はせめて行き先だけは世話させてくれと自分と同じように妻に逃げられた友人の名を出し・・・。主な演者には、2代目桂枝雀などがいる。

夏の医者
「夏の医者(なつのいしゃ)」は、古典落語の演目。元は上方落語で、のちに東京に移されたとされる。原話について武藤禎夫は、中国由来の笑話で猷山の「諸仏感応見好書(享保11年・1726年)」に見えるという説を紹介しており、日本語での古い文献として「軽口独狂言」第2巻(明和2年・1765年)の「蛇(うわばみ)の口あたり」を挙げている。とある田舎の村。夏の暑い盛りの昼間に一人の農夫が倒れた。しかし、村には医者がいないので農夫の息子が山向こうの村にいる医者を呼びに行った。農夫の息子から状況を聞いた医者は、すぐに原因がチシャによる食あたりだと見当をつけ「夏のチシャは腹へ障る」と言って農夫の息子と共に往診に向かうのだが途中近道をしようと山に入り・・・。

「宿替え」
「宿替え」あるいは「宿がえ(やどがえ)」は古典落語の演目。「宿替え」は上方落語での名前で、江戸落語で演じられる場合の「粗忽の釘(そこつのくぎ)」の名でもよく知られる。他に別題として「我忘れ(われわすれ)」「粗忽の引越(そこつのひっこし)」がある。亭主が大変な粗忽者の夫婦がいた。引っ越すことになり、腕自慢の亭主は風呂敷を広げて一人ですべてをまとめて持っていこうとする。無理だと諭す女房を怒鳴りつけ荷物を用意させるが、持ち上がらず動けるようになるまで少しずつ荷物を減らさせていく。女房は先に新居につき準備をするが、亭主が来ない。女房の作業が終わった頃になってようやく亭主がやってくる。女房はホウキを掛けたいから釘を打ってくれと亭主に頼むと・・・。

桂 枝雀
入門時から稽古には熱心で、深夜の歩行中にネタ繰りをして警察に通報されたり、ネタ繰りに没頭するあまり掃除機を部屋の随所にぶつけて什器を壊したりした。米朝の妻は、「周りを気にせずのめり込む人は、後にも先にもあの子のほかにはいなかった」と評している。この「私生活の間も落語の稽古をする」という習慣は、枝雀として名をなした後年も変わらなかった。1973年(昭和48年)10月に道頓堀角座で「2代目桂枝雀」を襲名。この襲名は、6代目笑福亭松鶴の「小米には枝雀という名前がええで!」という意向で決まった。これを機にそれまでの落語を大きく変える。初代桂春団治にもたとえられる所作や声の激しい芸風となり、多くの観客を爆笑させ、大衆的な人気を得た。1997年高座で「鬱なんです」と告白し、客席の笑い声に「笑いごとじゃないんですよ」と続けた。この会の後、出演を控えて闘病生活に入る。復帰するものの満足のいく口演が出来ず1999年自宅で自殺を図り病院に搬送され同年4月19日に心不全のため死去。満59歳没。遺書やそれらしい発言は全くなく、真相は不明。

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